ペンギンのラテン滞在日記

全く合わないラテンに住んで20数年の私ペンギンの物語

庶民の味方、ヤピータシステム。メルカドでの買い物に興奮!


私が十代の頃からずっと夢見てきたこと。それは海外の、観光地でもお土産屋さんでもない、地元の人が毎日の買い物をする場所で買い物をしてみることだった。そして私がボリビアで最初に住んだ場所、コチャバンバのビジャパガドールはそんな私にまさにうってつけの場所だった。

 

コチャバンバ市はおおまかに、中心部から北側に裕福な住宅街、南側にやや貧しい、庶民的な区域が広がっている。ビジャパガドールは中心部からバスで南東に40分ほどいった所。観光客はおろか、外国人さえ見かけない。中心部からタクシーでこの地域に行こうとすると運転手に「危ないからそっちには行かないよ」と断られたこともあった。

 

スーパーもコンビニも無い。買い物は家から1ブロック半坂道を下りた市場(メルカド)でする。正式な市場の部分は屋根があり、通路沿いに1.5m四方ぐらいの区画があってたくさん並んでいて、区画を借りた人がそこで物を売っている。肉屋、野菜と果物、生活用品、エンパナダやサルテーニャと飲み物を飲食できる所、大きな金属の鍋からスープと食事を売っている長い髪を三つ編みしたチョリータ(原住民族の女性)達。まさに五感いっぱいに異国をかんじて私は興奮した。

街角のチョリータ達

買い物なんて、お金と物を交換するだけだから、何も難しくないはず。まずは食器を洗うためのスポンジが欲しいな。が、メルカドを見回して困惑した。まずは、パッと見て「これは何屋」と定義するのが難しい店ばかり。いろいろな物が小さな区画の三面にある壁や棚に所狭しとあって、自分で手に取ってみるのではなく、その真ん中に座っている店の主人に何が欲しいか言い、その人が出してきたものによって別の色、大きさなど、自分の望みを言ってみて、買うか買わないかを決める。それはスペイン語がまだカタコトで語彙も乏しい私には結構難しかった。皿を洗うやつ、というと洗剤を出してくる。違う、違う、手でスポンジを握る動作をすると金属のタワシのような物を出してくる。だいたい、私が探している物がこのお店にあるのか定かではない。何屋にいけば何があるのか?だいたいこの店は何屋なのか?そんな基本設定が違っていたのだ。あ~あ、やっぱり不思議の国のアリスだわ。

 

まあいい。皿は水と洗剤があればなんとか洗える。とりあえずバナナでも買って、明日の朝ごはんを確保しよう。屋根のあるメルカドの中だけでなく、周りの道路にも道端で野菜や果物を売っている人がたくさんいる。中にはバナナだけ売ってる人、アボガドだけ売ってる人など、いかにも自分のうちでとれた物を売ってお金にしようという感じの人もいる。私はなんとなく、メルカド内の場所を借りれない道端の人から買ってあげたい性分で、外に出た。バナナはだいたい誰に聞いても1ダース1ボリビアーノ(以下ボリと省略)だった。12本も買ったらダメになりそうだから、半分だけ買うことにした。お金を払うと、チョリータのおばあちゃんが、ナイロン袋に1本余分にバナナを入れて、「ヤピータ(おまけ)」と言って渡してくれた外国人の私からぼったくるんじゃなくておまけまでくれて、なんていい人! またこの人から買えるように顔を覚えようと思うけど、ボリビアに着いたばかりの私にはチョリータ達がみんな同じに見えてしまう。せめて、今ちゃんとありがとうって言っておこう。

 

ボリビアでの買い物に慣れてくると、私はこのヤピータについて面白い法則を見つけた。なんと、少量買いするほどヤピータの割合が上がる!バナナ半ダース買うと必ず1本、時には長くは持たないよく熟れたのを2、3本つけてくれたりする。でもバナナ1ダース買うとヤピータは無かったり。パセリなんかも、1ボリの束は大きすぎるから半分買うと、ヤピータをどっさりつけてくれてる。少量しか買えない貧しい庶民の味方、ヤピータ!という感じ。私が道端の小売のおばちゃんを応援したいように、おばちゃん達もちまちま買いに来る私を応援してくれている。なんか私、ここ好きだな~と思う瞬間なのです。

 

 

ラパスの空港でたった一人、高山病で気絶

マリアさんのうちで爆睡して次の日、私はまだ疲れている体を引きずって再び標高4000mのエルアルト空港へ。ボリビアでは何が起こるか分からないという心配もあり、国内便の搭乗なのに3時間以上前に空港に着いた。空港に着く前にタクシーが故障して道端で次のタクシーを拾うことになったら、などなど、心配性の私は念には念を入れて相当早く家を出たが、幸い何事もなく順調に空港に着いてしまった。

ラパスからエルアルトの方を望む風景

チェックインカウンターは当然まだ開いていない。そんなに大きくない空港で、見るものもない。というか、半年前の下見で外の世界の物の値段を知っていると、空港で何かを買う気にはならなかった。

重いスーツケースをゴロゴロ引っ張っていた私はまもなく息苦しくなって、自分が標高4000mにいるという現実を思い出した。そうだ、初めてラパスに着いた時も空港で気持ち悪くなったんだった。なぜか昨日到着した時は全然大丈夫だったのですっかり忘れていた。ウロウロせずに大人しくしていよう。私は近くのイスに座った。が、時すでに遅し。頭痛がひどくなり、吐き気までしてきた。まずい。トイレに行こう。

 

さっきまで小さな空港だなあと思っていたのに、いざ頭痛、吐き気と闘いながら、重いスーツケースを引っ張ってトイレに向かうと、急に空港が何十倍にも引き延ばされた気がする。トイレまでの道のりの長いこと。入ると目の前に手洗いと鏡があり、右手に個室がいくつもあって、すいていた、というか、誰もいなかった。スーツケース、手洗い場に置いて行こう。誰もいないし。吐きそうで、もう限界で、運悪く盗まれてももういい。淡いグレーのさむざむとしたトイレが私の目に映った最後の景色だった。私の意識はそこでプッツリ切れた。

 

目を開けると全てが白かった。白い簡素なベッドの上に私は寝ていて、口に酸素マスクが当てられていた。知らない女性が私を覗き込んで、何か言った。頭の中でこれまでの人生のいろんなシーンが椅子取りゲームをしているようだった。0.1秒もかからないうちに、何百枚もの画像が時系列で並べられ、われに帰った私はガバッと背中を起こし叫んだ。「スーツケース!」それと同時に私は、覗き込んだ女性が看護婦で、「Estás bien(大丈夫)?」と聞いてきたことに気づいた。見回すとスーツケースは部屋の隅にちゃんとあった。この空港では高山病で気分が悪くなる人が時々いるため、酸素は常備されているらしく、看護婦さんは落ち着いていた。「私、コチャバンバ行きに乗らないといけないんです。」「大丈夫、まだ間に合うから。」彼女はスーツケースを預けてくれ、私を飛行機のタラップまで連れて行ってくれた。

 

アメリカの大統領が専用機に乗る時に、飛行場の地面から階段を上がって乗り込むのを見たことある?あんな感じだった。私がちょっとフラフラしてたのを見て、スチュワーデスが2人出てきて、両腕を掴んで支えてくれた。まるで逮捕されて強制送還される人みたい。機内に入ると彼女達は私を最前列の席に座らせてくれた。これまでの人生で座ったことのない大きな座席。ファーストクラス?ビジネスクラス?そのクラスをとった乗客は誰もいなかったようで、最初の2列は誰もいなかった。どうやら私が最後に乗ったらしかった。

 

タラップを上がったことでまた気分が悪くなった私は離陸して安定飛行になった頃には意識が朦朧としていた。スチュワーデスが紙コップでコカ、アニス、カモミールの薬草茶、トリマテを持ってきてくれた。が、私は紙コップをつかむ力もなかった。もう一人のスチュワーデスがそれを見てスプーンを持ってきて、赤ちゃんに離乳食を与えるようにして私に飲ませてくれた。なんて甘い!どんなに砂糖を入れたらこんなに甘くなるんだ!?なんだかそれで目が覚めた。3人目のスチュワーデスが心配そうにやってきて、「誰か迎えにきてくれるの?」と聞いた。「友達が来てくれるので大丈夫です。ありがとう。」スチュワーデスが3人も私に付き添って、乗客へのサービスは?大丈夫なの?と頭の片隅で思ったが、こんな座席に座って、3人ものスチュワーデスに接客されることは後にも先にも、もうないだろう。私は目の前の3人が、ボリビア人でもスチュワーデスでもなく、大阪の通りがかりのお節介なおばちゃんのような気がして、日本の裏側に来てしまったという緊張が少しずつ解けていった。

 

ラパスーコチャバンバの飛行は1時間もない。そうこうしているうちにすぐに飛行機は着陸態勢に入った。スチュワーデス達も持ち場につき、無事着陸。乗り込んだ時よりはだいぶマシになっていた。あのどぎつく甘いトリマテが効いたのだろう。猫は死ななかった。私はトリマテの信者になって飛行機を降りた。優しいスチュワーデス達に何度も頭を下げながら。

標高4000mで待ちぼうけ

日本からボリビアへは直通の飛行機はない。最低でも3便乗り継ぐ。南米行きはマイアミ発が多いが、マイアミまでも直通がない。飛行機のチケット料金って、不思議だ。安いチケットを探すほど乗り換え回数が多く、飛行機に乗っている時間も長くなる。時には成田ー上海ーロサンゼルスーマイアミーサンパウローボリビアと、5便も乗り継いだりする。待ち時間込みで合計60時間超えることもしばしば。

 

安いチケットを買った私は、ご想像どおりこれ以上はないくらいヘトヘトで世界一標高の高い空港、ラパスのエルアルト(標高4000m)についた。ここまでくればもう安心。下見の時に知り合ったボランティア仲間のマリアさんが迎えに来てくれているはず。1週間前に到着時間を知らせて確認もバッチリしたし、準備は抜かりない。荷物検査も無事通過し、スーツケースを引きずりながらフロアに出ていく。数人のお迎えらしき人たちが、家族や友人と思われる人を見つけては歓声が上がる。いつ見てもいい光景だなあと、ぼんやり見ていた私は、あれっと思った。いるはずのマリアさんがいない。きっとボリビア時間で遅れてるんだな、焦らず待ってあげよう。私は一人、フロアの椅子に座った。

 

さっきまで歓声を上げハグをしていた人達はそれぞれフロアから出ていき、やがて小さな空港に私は一人残された。なんという静寂。時計の針はこの国では日本よりゆっくり回っているのか?と思った。🎵アリース イン ワンダーラ~ンド🎵が頭の中を0.8倍速で流れ始める。しかし時間が経つにつれ私は焦り始めた。1時間以上たってようやく現実を受け入れ始める。ここでどんなに待ってもマリアさんは来ない。1週間前の「待ってるよ!」という返信はその時の彼女の本当の気持ちだったと思うが、時間が経てば気持ちは変わる、あるいは状況が変わることは大いにありうる。そんな当たり前のことに今さら気がついて私は、もしもマリアさんが来なかった時という第二プランを全く立てていなかったことを悔やんだ。不思議の国アリスになった気分、、、とか言ってる場合じゃない。

 

この状況で一番手っ取り早いのはタクシーに乗って適当な近くのホテルに連れていってもらうことだった。どうせ明日また同じ空港から、最終目的地コチャバンバ行きの飛行機に乗らなければいけないのだし。ラパスはどうせ一泊休憩するだけだ。しかし、計画の変更が苦手な私は、どうすればマリアさんの家にたどり着けるかということしか考えられなかった。持っているのはEメールと住所。とりあえず私は外に出てタクシーの運転手に住所を見せた。ラパス一、いや多分ボリビア一の高級住宅街カラコト付近の住所。運転手は二つ返事でOKした。

ラパスの街中へ下りていく道



タクシーは標高の高い空港からカラコトに向かって緩やかに降りて行き、この辺だな~というあたりに来た。前回下見に来た半年前に一度泊めてもらったが、余りにも全てのことが目新しかった私にとっては情報量が多すぎて、玄関や家の周りの景色の記憶はおぼろげだった。やがて、そのおぼろげな記憶となんとなく合っている家の前に到着した。スーツケースを下ろし、ドアの前に立った私は急に不安になった。もしもマリアさんの「待ってるね」が社交辞令だったら?あるいは家に誰もいなかったら?私なんでタクシーの運ちゃんに、「そこら辺の三つ星ホテル」って言わなかったんだろう。今頃そんな解決策を思いつく自分が恨めしかった。まあいい。とりあえず目の前の呼び鈴を押そう。

 

けたたましい呼び鈴が鳴り、家の中で物音がした。そうしてドアを開けたのは、あの懐かしいマリアだった。「あら、よく来れたわね!知らせてくれたら迎えにいったのに!」「一週間前にメールしたので大丈夫と思ってました。」「そうそう、でもそのあと何も言ってこなかったから、飛行機飛ばなかったか、何かあったのかと思ったのよ。」余りにも屈託なく迎えてくれるマリアに拍子抜けしてしまった。社交辞令だったわけでも、忘れていたわけでもない。ただ、直前(24時間以内)の再確認がなかったので「計画が変更されたらしい」と思われたのだ。そうなの?計画って何も言わなければそのままじゃないの?私はこのマリアの反応を深く心に刻んだ。こんなに大きな前提の違いは、きっとマリアの個性ではなく環境からくる文化の違いのようなものではないかと本能がサイレンを鳴らしたのだ。きっとまた似たことが起こる、覚えておけ、と。

 

 

好奇心の強い猫、ボリビアへ

ラテン諸国では好奇心の強い猫は死ぬ、ということわざをよく聞く。(元はアイルランド発祥らしい。)

 

私は子供の頃から外国に興味があった。キラキラした観光地にではなかった。想像力のたくましい私は、もしも自分が他の国に生まれていたら、どんな朝ごはんを食べ、どんな匂いをかぎ、どんな景色を見ていたのだろう、とよく空想していた。

 

さらに想像力をたくましくして、自分は別の世界から突然この日本という国に連れてこられた少女だと設定して、目の前にある生活のあらゆるものを「外国人(どこからか不明)」の目線で見るという遊びもよくやっていた。

 

海外旅行など縁のない家庭環境だったが、カリブ海の島々などの写真集を見るのが大好きで、自分の日常と全く違う日常を生きている人達がいる、ということを意識していた。見たことのない海の色の写真、聞いたことのないスパイスを使ったレシピ、ああ、この人の台所はどんなにおいがするのだろう? 私の好奇心は掻き立てられた。

カフェで見た猫のポスター

今思うと、猫はすでに死に定められていたも同然だった。実際、何度か死にかけた。でも私は死ななかった。自分が特別賢かったわけでも器用だったわけでもない。ただただ、神様、ありがとう。この一言に尽きる。

 

好奇心の強いまま大人になった私は、なんとかつてをたどり、ボランティアとして南米ボリビアに行けることになった。目指すは標高2500メートルのボリビア第三の都市、コチャバンバ。ラテンか~、なんか自分とは合わなさそうだなぁ。でも、まあいいや。とりあえず日本じゃないどこか別の国が見られるんだし。そんな感じで飛行機に乗ったのだった。